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東京地方裁判所 平成7年(ワ)23974号 判決 1997年5月07日

原告破産者K株式会社破産管財人

田邊雅延

右訴訟代理人弁護士

佐藤昇

市野澤要治

被告

ロイヤル建設株式会社

右代表者代表取締役

大田昭

右訴訟代理人弁護士

大橋毅

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録記載(一)ないし(四)の各建物を明渡せ。

二  被告は、原告に対し、平成七年一〇月一七日から右明渡済みまで一か月四〇〇万円の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告に対し、金八八〇〇万円及びこれに対する平成七年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  K株式会社(以下、「破産会社」という。)は、別紙物件目録記載(一)ないし(四)の各建物(以下「本件建物」という。)を所有している。

2  被告は、建設を業とする会社であり、本件建物工事を破産会社から請負って本件建物を完成したものであるが、平成五年九月三〇日、破産会社との間で左記の合意(以下、「本件合意」という。)をした。

(一) 被告が本件建物について商事留置権を有することを確認する。

(二) 破産会社は、右留置権の存続する間、被告が本件建物を第三者らに賃貸することを承諾する。

(三) 被告は右賃料を、被告の破産会社に対する債権に充当する。

3  被告は本件合意に基づき、遅くとも平成五年一一月八日ころより本件建物の第三者らへの賃貸を開始した。

4  破産会社は、平成五年一一月二九日東京地方裁判所に破産を申し立て、同年一二月一六日破産宣告を受け、原告が破産管財人に選任された。

5  不動産には商事留置権は成立しない(東高判平成八年五月二八日・金融・商事判例九九五号一五頁)。本件合意中においてなされた被告が本件建物について商事留置権を有する旨の確認は、破産会社と被告の誤解に基づくものであり、右合意によって本件建物について被告の商事留置権が創設されるものではない。

したがって、本件建物については民事留置権が成立したにすぎないというべきところ、破産会社の破産により右の民事留置権は消滅し、留置権の存在を前提とした本件合意も失効したので、被告は右同日をもって本件合意に基づく本件建物の賃貸権限、賃料収受権及び占有権原を失った。

6  仮に、被告が本件建物について商事留置権を有していたとしても、破産法九三条一項により商事留置権は破産宣告によって効力を失い、特別の先取特権とみなされるから(大阪高判平成六年九月一六日・判例時報一五二一号一四八頁)、被告の右の商事留置権は破産会社の破産により消滅し、したがって、被告は右同日をもって本件合意に基づく本件建物の賃貸権限、賃料収受権及び占有権原を失った。

なお、本件では、返還義務の目的物が不動産であり、返還による占有の移転は、被告の別除権行使の支障とはならないから、本件建物の返還の具体的な履行期は抽象的な返還義務の発生時と同じく破産宣告時である。

7  仮に、内被告の本件建物についての商事留置権が右破産宣告により消滅しないとしても、本件合意当時、破産会社は約一九四億円の債務に対し、貸借対照表上ですら資産は約一五〇億円しかなく、一年以上にもわたって主として請負代金債務の支払のため振り出した約束手形が決済できず、いわゆるジャンプを繰り返す状態にあったものであり、被告は、破産会社が右のような状況にあることを熟知していた。しかるに、被告は、本来本件建物が一般消費者向けの分譲用であり、これを第三者に賃貸すれば販売が著しく困難となって破産会社の資産を減少させ、かつその賃料を被告に取得させることは特定債権者に対する弁済であって破産会社の一般財産を減少させる結果となることを知りながら、破産会社との間で本件合意を成立させたものであるから、本件合意は破産法七二条一号によって否認されるべき行為である。

原告は、平成八年一月二九日の本件口頭弁論期日において、本件合意のうち、民法二九八条二項の承諾に該当する部分を否認する旨の意思表示をした。

8  被告は、破産会社についてなされた破産宣告の日の翌日である平成五年一二月一七日以降も本件建物の第三者への賃貸を継続して本件建物を占有している。

9  原告は、平成七年一〇月二六日、被告に対し、同年一一月一五日までに、第三者との本件建物の賃貸借契約を原告に承継させ、かつ、既受領賃料を原告に返還するよう催告した。

10  平成五年一二月一七日から現在までの本件建物の賃料相当額は、一か月四〇〇万円を下らず、原告は、被告の本件建物の占有継続により同額の損失を蒙っている。

本件建物の賃料につき、被告が破産法九三条一項の先取特権に基づき差押えをしてこれを取得できるとしても、被告は現在まで民法三〇四条一項による右賃料の差押えをしていないから、先取特権の効力により右賃料の取得権限を有するものではなく、したがって、被告が右先取特権を有することから原告に右賃料相当額の損失が生じていないとはいえない。

11  よって、原告は、被告に対し、所有権による返還請求権に基づき本件建物の明渡しを求めるとともに、不当利得返還請求権に基づき平成五年一二月一七日から平成七年一〇月一六日までの賃料相当額の損失金八八〇〇万円及びこれに対する平成七年一一月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金並びに平成七年一〇月一七日から本件建物の明渡済みまで賃料相当額の損失金として一か月四〇〇万円の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1ないし4の事実は認める。

2  同5、6は争う。

3  同7のうち、本件建物が一般消費者向けの分讓用であることは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

4  同8、9は認める。

5  同10の事実は否認ないし争う。

破産管財人たる原告が本件建物を使用収益することはあり得ず、したがって、原告が本件建物の引渡しを受けていれば得べかりし利益が発生するとは考えられない。また、原告は、破産宣告から二年近く、否認権のみを問題にしてきたもので、その間本件建物の引渡しを請求したことはなく、このような事情からすれば、原告がこの間に賃料債権を取得する可能性は認められない。

他の面から見ても、被告は、本件建物についての商事留置権による果実収取権を有しているうえ、破産法九三条一項によって認められる特別の先取特権の効力は本件建物の賃料に及ぶから、原告に賃料相当額の損失が認められる余地はない。

さらに、本件建物がほとんど賃貸できているのは、被告であればこそなし得たことであり、破産管財人の管理下でこのような状態を望むのは困難であり、賃料の低下を生じさせることは明らかであるし、定着率も悪化することは容易に予想できる。したがって、原告の得べかりし利益を想定するに当たっては、時価たる賃料相当額を基準とすることはできないし、現在の賃借人の数及び定着率を前提とすることはできない。

三  被告の反論

1  本件建物についての留置権の成否

被告の本件建物についての商事留置権は有効に成立したものであり、したがって、被告は本件合意に基づく本件建物の賃貸権限、賃料収受権及び占有権原を有している。商事留置権について、商法五二一条は、商人間においてその双方のために商行為によりて生じたる債権が弁済期にあるときは、債権者は弁済を受けるまでその債務者との間における商行為によりて自己の占有に帰したる「債務者所有ノ物又ハ有価証券」を留置することを得ると規定しており、その文言上、留置権の対象として不動産を除外しておらず、したがって、不動産も商事留置権の対象となるものと解される(仙台高判平成六年二月二八日・判例時報一五五二号六二頁など)。

2  破産宣告による商事留置権の消滅の有無

被告の本件建物に関する商事留置権の留置的効力は、破産会社の破産によっても消滅していないので、被告は本件合意に基づく本件建物の賃貸権限、賃料収受権及び占有権原を有している。

(一) 破産法九三条一項前段は、「破産財団ニ属スル財産ノ上ニ存スル留置権ニシテ商法ニ依ルモノハ破産財団ニ対シテハ之ヲ特別ノ先取特権ト見做ス」としているが、この規定は、商事留置権の担保力尊重の趣旨から、商事留置権を別除権とするため、実体上優先弁済権を付与することとしたものである。したがって、右規定は、「先取特権でもあると見做す」という趣旨に解釈されるべきものであって、商事留置権の留置的効力を奪う趣旨のものではない。

昭和四二年の改正で、破産法九三条のような規定を欠く会社更生法において、商事留置権の消滅請求に関する手続を定めるべく一六一条の二の規定が新設され、民事留置権には同様の規定が新設されなかったのは、破産手続では民事留置権のみが失効し、商事留置権は存続するとされていたからである。

(二) 破産法五一条一項但書は、財団債権の商事留置権も民事留置権も破産宣告後において存続するものであるところ、財団債権は破産手続によらず他の破産債権に対して優先弁済を受けるという点で別除権と同様の性質を有するものであり、破産宣告前から存在する別除権たる商事留置権の留置的効力が否定されるとすれば明らかに均衡を失する。

(三) 商事留置権は沿革上優先弁済権があったもので、いわば法定質権の性格を有しており、破産法九三条はこの優先弁済権を復活させたものであるところ、質権は破産宣告により留置的効力を喪失しないから、これとの均衡上、商事留置権についても留置的効力が存続すると解すべきである。民事執行法五九条四項において留置権は使用及び収益をしない旨の定めのない質権と共に不動産競落人の弁済責任の対象となっており、その担保的効力において質権と同等ないし使用及び収益をしない旨の定めのないことという条件がないだけ質権に勝りさえする。

(四) 破産法一九七条一四号は、破産管財人が被担保債権を弁済して別除権の目的物を受け戻すことを認めているが、商事留置権の留置的効力が失効するという主張は、この受戻しの制度と調和しない。

国税徴収法二一条一項は換価代金の分配において、すべての留置権が租税に優先し、また、質権、抵当権、先取特権又は同法二三条一項に規定する仮登記担保権に優先することを規定しており、滞納処分においてこのような優先的効力を与えられる留置権の地位が破産手続において否定されることは不合理である。

(五) 担保物権は、設定者が経済的に破綻し、破産した場合こそ、担保権設定の趣旨が活かされる必要があるから、原則として担保物権秩序は維持され、これを破産手続の面から把握したのが別除権であり、このような別除権の本質に鑑みると、商事留置権の留置的効力を否定することにより、国税徴収法や民事執行法上明確にされている商事留置権の強力な担保的機能を侵害したり、他の担保物権や租税債権との優先順位を変えることは、別除権の本質に反し、破産手続進行を理由にしてもその合理性は認められない。

3  破産宣告により商事留置権が消滅すると解される場合における本件建物の返還義務

仮に、被告の本件建物についての商事留置権が破産会社の破産によって消滅したとしても、特別の先取特権を有する者は、別除権を有し、破産手続外で競売を申し立てることができる地位にあるから、被告は、別除権を行使する意思を有しなくなった時点で本件建物を破産管財人である原告に返還する義務を負うにとどまる。

しかるところ、本件建物については従前から原告と被告の間で任意売却に向けた協議を続けていたものであり、原告から右協議を打ち切る旨の通知は未だなされていないので、被告において別除権を行使するかどうかの意思決定を行う段階になく、したがって、被告の原告への本件建物の返還義務は未確定である。

四  被告の抗弁

1  本件明渡請求の権利濫用

仮に、被告の原告への本件建物の返還義務が既に確定しているとしても、(一)原告が被告から本件建物の引渡しを受けた後に、本件建物につき抵当権を有する北陸銀行がこの抵当権を実行すれば、破産財団としては本件建物を放棄せざるを得ず、同銀行が抵当権を実行しなくても本件建物に設定された同銀行や被告などの抵当権の被担保債権額は本件建物の価格を上回っているので、やはり破産財団は本件建物を放棄せざるを得ないし、(二)原告が自ら本件建物を換価処分して得られる売得金から別除権者に弁済を行って余剰を生じる見込は存在しないから、もし原告がかかる放棄を行わず、かつ、被告と和解をしないで本件建物の任意売却を行うと、被告は特別の先取特権に基づいてその売得金をすべて収取してしまうことになるが、このような事態を原告が想定しているとは考えられないことや、他の別除権者である本件建物の抵当権者に対して原告から別除権実行の催告も行われていないことから、原告の被告に対する本件建物の明渡請求は、原告による本件建物の換価処分の準備としてなされているものではないことが明らかであり、また、(三)原告が本件建物を占有することになれば、本件建物の賃借人からの賃貸借契約の解約が予想され本件建物の収益の安定性が損なわれて任意売却を行うのに不利となることから、結局のところ、右明渡請求は、破産財団の利益のためでなく、被告と本件建物の抵当権者である北陸銀行との間の優先順位を明確にし、同銀行への配分を増やすためのものでしかないので、右明渡請求は権利濫用に当たる。

2  破産者との賃貸借契約に基づく本件建物の占有権原

仮に、(一)被告の本件建物についての商事留置権が有効に成立しておらず、民事留置権のみが成立していてこれが破産会社の破産によって消滅したため、被告の本件合意に基づく本件建物の賃貸権限及び占有権原が消滅したか、(二)右の商事留置権が有効に成立したものの破産会社の破産によって消滅したことにより、被告の本件合意に基づく本件建物の賃貸権限及び占有権原が消滅し、かつ、本件建物の返還義務が確定し原告の返還請求が権利濫用に当たらないか、または、(三)右の商事留置権は消滅していないものの本件合意のうち民法二九八条二項の承諾に該当する部分が破産法七二条一号によって否認されたとしても、平成四年五月二〇日、破産会社と被告は、被告が既に占有していた本件建物につき、期間を三年、賃料月額を左記のとおりとする賃貸借契約を締結したので、被告には右賃貸借契約に基づく本件建物の占有権原がある。

別紙物件目録記載(一)の建物 一万円

同(二)の建物 三〇四六円

同(三)の建物 三〇九二円

同(四)の建物 六四〇四円

五  抗弁に対する認否

1  抗弁1の主張は争う。

原告が本件建物を占有すると、本件建物の賃借人が賃貸借契約を解約するという主張は根拠がない。本件破産においては、原告は本件建物以外にも多数の賃貸借契約を破産会社より承継したが、原告が賃貸人となったことにより賃借人から解約されたものは一件もない。

また、原告が本件建物を破産財団から放棄するか否かは、被告から本件建物の明渡し及び賃貸借契約の承継を受けたうえで調査検討した後に決定しない限り、破産管財人としての原告の注意義務違反となるものである。

さらに、別除権の行使と任意売却とは両立し得るのであり、極端な場合別除権の行使の結果競落人が現われないことが判明して初めて任意売却が可能となることすらあるのであって、別除権行使即ち財団からの放棄では原告はやはり注意義務違反に問われてしまう。

2  同2の賃貸借契約締結の事実は否認する。

被告の主張するところの賃貸借契約なるものは、賃料として主張されている額からみても全く対価性を欠くものであり、真正の賃貸借ではない。また、原告及び破産会社は、右賃貸借なるものの賃料を被告から受領したことはない。

六  原告の再抗弁

被告主張の賃貸借契約は、当事者が真実契約を締結する意思でなされたものではなく、無効である。

七  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一  請求原因1ないし4の事実は、当事者間に争いがない。

二  本件建物についての被告の賃貸権限、賃料収受権及び占有権原の有無について

1  本件合意は、破産会社と被告との間で本件建物について被告が商事留置権を有することを確認し、これを前提として、右商事留置権が存続する間、被告が本件建物を第三者に賃貸して賃料を収受すること及び右賃料を被告の破産会社に対する債権の弁済に充当することを認めるものである。したがって、本件合意に基づく本件建物の賃貸権限、賃料収受権限及び占有権原は、原則として商事留置権の発生及び消滅と命運を共にするものである。(もっとも、商事留置権自体は存続していても、留置権者による留置物の賃貸についての債務者の承諾の効力のみが否認権の行使により否定される場合もあり得るが、後述するように、本件においては否認権行使の成否について判断する必要がない。)

なお、商事留置権は法定担保物権であるから、商事留置権自体は、当事者の合意内容によってではなく、法定の要件に従って発生、消滅するものである。

そこで、被告の本件建物についての商事留置権の存否につき判断する。

破産法九三条一項によれば、商事留置権は、債務者が破産宣告を受けることにより、特別の先取特権とみなされる。これに対し、同条二項によれば、民事留置権は破産手続上その効力を失う。

商事留置権については、これが商行為に基づくもので、特にその担保力を尊重する必要から、特別の先取特権としての優先的効力が付与されたものである。この特別の先取特権は、他の特別の先取特権に劣後するものである。

ここで、仮に、商事留置権が破産宣告をもってこのような特別の先取特権に転化しながら、破産宣告前に有していた留置的効力を併せて保持すると解するならば、商事留置権者は、自ら別除権を行使しない場合には、目的物の換価のための引渡しを求める破産管財人に対して被担保債権の弁済を受けるまで引渡しを拒絶できることになるが、そうなれば破産手続きを早期に進行させるべきとする法の要請に反することになる。他方、右のような事態を回避すべく破産管財人がこれを受け戻して自ら換価処分を行おうとすると、破産管財人は商事留置権者に対し被担保債権額を弁済しなければならなくなるが、そうすると、商事留置権者は自ら別除権を行使する場合には目的物の換価代金から他の優先する別除権者に遅れて満足を受け得るにすぎないにもかかわらず、事実上他の担保権者に優先して弁済を受ける権能を有しているのと変わりがなくなってしまい、同条一項がわざわざ特別の先取特権を付与して別除権者としたうえ、留置権が本来担保権として薄弱なものであることを考慮して、その順位を他の特別の先取特権よりも後順位におくこととした趣旨が没却されることになる。

したがって、商事留置権については、債務者について破産宣告がなされることによって、本来有していない優先弁済権能を付与される代わりに、民事留置権と同じく、破産宣告前にその内容となっていた本来的効力たる留置的効力は消滅するものと解するのが相当である。

なお、会社更生法一六一条の二は、更生管財人による商事留置権の消滅手続に関する定めをおいている。しかしながら、これは、会社更生にあっては、更生開始から更生計画認可までの間は会社を維持・存続させる必要があるところ、商事留置権は更生担保権として抵当権等の他の担保権と同一の取扱いをされ、更生手続中も商事留置権は存続することになるが、商事留置権はその性質上目的物の占有を伴うものであって、会社の維持・存続に支障を来たす恐れがあることから、これを回避することができるように、目的物の価額に相当する金銭の供託をもって更生管財人が一方的に商事留置権を消滅させる途を開いたものである。したがって、この規定を根拠にして破産の場合に商事留置権の留置的効力が存続するものと解するのは相当ではない。

被告はその他にも商事留置権の留置的効力が償務者の破産後も存続する根拠として縷縷主張するが、それらは畢竟独自の見解にすぎず、いずれも採用できない。

2 そうすると、不動産についても商人間の留置権が成立するものであり被告が本件建物について商事留置権を取得していたとしても、破産会社の破産によって被告の有する右商事留置権は特別の先取特権に変わり、それ自体の効力は消滅したものというべきである。そして、本件合意は被告が右商事留置権を有することを前提に被告に本件建物の賃貸権限及び賃料収受権限を認めるものであるから、その前提が少なくとも破産会社についての破産宣告の日以降については存在しない以上、右同日以降、被告は本件合意に基づく本件建物の賃貸権限及び賃料収受権限を有していないものというべきである。

三  被告の本件建物の明渡し義務について

前記二に説示したところによれば、被告は原告に対し、本件建物を明け渡す義務を負うものである。

この点に関し、被告は、その有する別除権を行使する意思を有しなくなった時点で被告は本件建物を原告に返還する義務を負うにすぎないところ、本件建物については、従前から原告と被告との間で任意売却に向けた協議を続けて来たものであり、原告から右協議を打ち切る旨の通知は未だなされていないので、被告において別除権を行使するかどうかの意思決定を行う段階にはなく、したがって、被告の原告への本件建物の返還義務は未確定である旨主張する。

しかしながら、原告が被告に対し返還を求めているのは不動産である本件建物であり、本件建物の返還によりその占有が原告に移転しても、被告の別除権の行使の妨げとはならないから、被告は本件建物の占有権原を失った破産宣告時に直ちにこれを原告に返還する義務が発生したものというべきである。のみならず、仮に、被告が破産管財人である原告から本件建物の返還請求を受けたにもかかわらず速やかに別除権を行使しなかった時に初めて本件建物の返還義務が発生しその履行期が到来すると解されるとしても、当事者間に争いがない請求原因9のとおり、原告は被告に対して平成七年一一月一五日までに本件建物の第三者との賃貸借契約を原告に承継させるよう催告しており、第三者に対する賃貸という形態で本件建物を間接占有していた被告に対する右催告は、本件建物の返還を請求する趣旨であると認められる。そして、弁論の全趣旨によれば、被告は右催告を受けた後速やかに別除権を行使していないことが明らかであるから、右催告の期限である平成七年一一月一五日には被告の本件建物返還義務は確定しその履行期が到来したものというべきである。

被告の右主張は採用できない。

四  被告の不当利得返還義務について

また、前記二に説示したところによれば、被告は、破産会社が破産宣告を受けた日の翌日以降、被告が本件建物を占有することによって得る利益を保持する法律上の原因は存在せず、一方、原告は、被告が本件建物の引渡しをしないことによって本件建物の賃料相当額の損失を被っているものというべきであるから、被告は原告に対し、不当利得として本件建物の賃料相当額の支払義務を負うものである。そして、証拠(甲六ないし八)及び弁論の全趣旨によれば、本件建物の一か月の賃料相当額は四〇〇万円を下回らないものと認められる。

原告が、平成七年一〇月二六日、被告に対し同年一一月一五日までに第三者との本件建物の賃貸借契約を原告に承継させ、かつ、既受領賃料を原告に返還するよう催告したこと(請求原因9)は、当事者間に争いがない。そして、右は、被告が法律上の原因なくして取得した利得の返還を催告する趣旨を含むものと認められる。

被告は、また、被告が本件建物について商事留置権による果実収取権を有しているうえ、破産法九三条一項によって認められる特別の先取特権も賃料に及ぶから、原告に賃料相当の損失が認められる余地はないと主張する。

しかし、前記二に認定したように、被告は少なくとも破産会社についての破産宣告の翌日以降は本件建物について商事留置権を有していないため、これに基づく果実収取権は右時点以降存在しないし、仮に被告が商事留置権から転化した特別の先取特権に基づいて賃料の差押えをする可能性があったとしても、これは原告の受けるべき利益の一部又は全部を被告が物上代位という法定の手続きによって取得できる理論的可能性があった、ということにとどまるものである。

被告はかかる法定の手続をとらず、しかも無権限で本件建物の賃貸を行って占有を継続したことにより、原告は自ら本件建物を賃貸するなどして収益を上げる機会を奪われ、賃料相当額の損失を被ったものというべきである。

五  本件明渡請求が権利濫用に当たるかどうかについて

被告は、破産財団は本件建物を放棄せざるを得ないこと、原告の本件建物の明渡請求は、原告による本件建物の換価処分の準備としてなされているものではないこと、本件建物の明渡請求は、第一順位の抵当権者である北陸銀行への配当を増やすためのものでしかないことを理由に、本件建物の明渡請求が権利濫用に当たると主張する。

しかしながら、破産管財人は、破産財団の管理及び処分をなす権利を有し、これに応じた義務を負っているところ、弁論の全趣旨によれば、原告は、被告の占有を排除しておくか否かで別除権行使による換価額には大きな影響があることから、右破産管財人の義務を果たすべく本件建物の返還を請求していることが認められ、また、被告に本件建物の明渡義務がある以上、原告は、破産管財人として、被告から本件建物の明渡しを受けて十分調査をした後、本件建物を破産財団から放棄するかどうかを決定する義務があるものと解される。被告は、原告が本件建物を占有することになれば、賃借人から賃貸借契約の解約が予想されるというが、これを裏付ける何らの証拠もないし、本件建物の明渡請求が認められることにより、北陸銀行への配分が増えるとしても、それは結果としてそうなるというだけのことであり、右認定を覆し、原告がそのことを目的に本件明渡請求をしていると認めるに足りる証拠はない。

したがって、被告の右主張は理由がない。

六  被告と破産会社の間の賃貸借契約の存否について

被告は、破産会社との賃貸借契約に基づく占有権原を主張するところ、別紙物件目録記載(一)の物件に関しては、破産会社を賃貸人、被告を賃借人と表示した「賃貸借契約書」と題する書面(乙九)が存在し、本件建物について被告が賃貸借契約締結の日であると主張する平成四年五月二〇日を設定日とする賃借権設定の仮登記が同年六月一日付けでなされていることが認められる(甲一ないし四)。

しかしながら、被告は、本件建物のうち別紙物件目録記載(一)の建物につき、平成四年一月三一日付けで、被告のH株式会社に対する債権を被担保債権とする抵当権の設定を受け、同年二月三日付けで抵当権設定登記を経由しており、同(二)ないし(四)の各建物につき、右賃借権設定と同日付けで、右債権を被担保債権とする抵当権の設定を受け、右仮登記と同日付けで抵当権設定登記を経由しているところ、右書面には破産会社の当時の代表者の記名捺印がなされてはいるものの、被告代表者については記名のみで捺印がなされていないうえ、賃料額が著しく低廉でおよそ対価性が認められず、また、弁論の全趣旨によれば、被告から破産会社または原告に対して、一度もその賃料が支払われたことがないことが認められ、これらの事実に被告の右主張は本件訴訟の最終段階になって突然提出されたものであることも考え併せれば、右賃貸借契約は、右抵当権設定登記以後競売申立てに基づく差押えの効力が生じるまでに対抗要件を備えることによって抵当権者に対抗することができる第三者の短期賃貸借を排除し、それにより本件建物の担保価値を保全する手段として締結され仮登記を経由したものにすぎず、当事者間に真実賃貸借契約を締結する意思があったとは到底認められないから、右賃貸借契約が形式上成立したものとみられるとしても、その効力を生じないものと認めるのが相当である。

したがって、賃貸借契約を理由とする被告の本件建物の占有権原に関する主張は理由がない。

七  以上の事実によれば、原告の本件請求は、いずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官青栁馨 裁判官若林弘樹 裁判官松井信憲)

別紙物件目録<省略>

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